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小松姫吉田羊2016-05-18_00001
真田丸を毎週見ているワタシです。


先日は岩櫃城や沼田城を見に行ったり、沼田の真田丸展を堪能してきました。


真田丸展は、また見に行きたいと思ったものです。


第19回「恋路」では、小松姫が真田信幸と結婚することになるシーンが出ており、小松姫のことも気になり見てきたつもりです。

真田丸の小松姫(稲)について

2016年のNHK大河ドラマの「真田丸」の小松姫(稲)を演じているのは、吉田羊さん。


歴史上に生きていた小松姫さんは、本多忠勝さんの娘で武士の心を持つ女性であったと知られています。


まさにそんな役割にぴったりな吉田羊さんですが、美人過ぎるのがちょっと残念な気もしますw

小松姫(稲)の逸話

最も有名な逸話が、信幸の留守の間に沼田城を乗っ取ろうとしていた昌幸と信繁を追い返した後、信幸の子供を会わせた逸話かと思います。


沼田の真田丸展を見て、この逸話は出ないのかな?って19回の「恋路」を見てそう思いました。


小松姫が真田信幸を受け入れようとしたのは、徳川家康が息子や男子たちを集めて、「どの男子が気に入ったにか?選ぶが良い!」と徳川と本多の威厳が怖くて何にも言えない男衆。


小松姫は髷を掴んで顔を眺めていた時に信幸が「無礼でござらぬか!」と発したことから気に入られたと言われています。


下手をすれば、切腹を命じられてもおかしくはない行動に武士を通した信幸に惚れ込んだのでしょう。


武士の娘として育てていたにも関わらず、このような無礼な行動をができるのは殿様かその息子や娘ぐらいのものと発するサイトが有りますが、政略結婚だったとはいえ、男勝り的な小松姫を納得させられるような男でないと受けいられるものではないと思う。


勝手な推測ですが、髷を掴んで顔を眺めていたのが、小松姫ではなく徳川家康の娘がそのようなことをして、昌幸がそれを止めたとしたら話は合うと思いません?

小松姫(稲)の墓

小松姫は、真田信幸と結婚して正室の妻となり生涯、信幸を支えることになりますが、病気が原因で江戸から草津へ療養しに行こうとするにも武蔵国の鴻巣で没します。


小松姫の墓は3つの寺の勝願寺、正覚寺、芳泉寺に分骨が納められています。

埼玉県鴻巣の勝願寺

埼玉県鴻巣にある勝願寺。


小松姫と勝願寺の結びつきは、徳川家康が、江戸幕府の開設以来浄土宗の保護を目的に、勝願寺の二世住職・円誉不残に帰依したことから家康のすすめで小松姫も円誉に帰依した。

群馬県沼田市の正覚寺

群馬県沼田市にある正覚寺。


小松姫と正覚寺の結びつきは、小松姫が沼田城に入場した時に、沼田民より歓迎され大変喜ばれた。
その後、小松姫は沼田の山林を沼田民に与え大事に扱われたそうです。
その恩義から、小松姫の死後は正覚寺の墓の隣に、山林の木を使って御霊屋を建てたと伝わっています。

長野県上田市の芳泉寺

長野県上田市にある芳泉寺。


小松姫と芳泉寺の結びつきは、小松姫の死後1周忌に信幸が建てたとされている。

小松姫と鴻巣や松代

小松姫は江戸から草津へ療養しに行く途中でお亡くなりになっています。


当時の江戸から鴻巣までは中山道で結んでいた。


徒歩で江戸から鴻巣は、10時間22分で行けるとgoogleマップは教えてくれています。


江戸を出て10時間22分後の途中でお亡くなりになったとされているのは、江戸で亡くなったことはせずに鴻巣で亡くなったことにしたかった背景があったのではないか?と思うんですね。

小松姫と松代

信幸の城主が沼田城から上田城に移った時に、上田城の芳泉寺に小松姫の分骨を納められていたんですが、徳川の命により松代城に移封されます。


その時に小松姫も大英寺と移築されたとされています。


その移築したとされている証拠の棟札が発見されました。


2015年に大英寺の小松姫の「御霊屋」で修理工事中に天井裏中央の梁に棟札が発見されています。


5月13日の長野webに掲載されています。


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